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2015年08月14日

こんな五択を並べるのもそろそろ終わりに

さあ!この先の覚悟と言うのは?
老いと どう向き合い、どう死ぬか!いかに死んで見せるか?と言う覚悟を書いてみたい。
やがて訪れる老い、誰でも65歳になったら老人と言う分類に入らされる。
まさしく老人とは、来年 私の事です。
でも老人とは失礼な!まだまだいけると想っている人は多い。
高齢者と言う呼び名は仕方ないにしても 老人とは!イメージが良くないだろうに?
こう呼ばれると 世の中から 邪魔にされ疎まれる存在 と言うような感じがする。
意味は、汚い、お金がかかる、役に立たない、と!取れてしまうから はなはだ先輩に対して失礼ではないかとそう思うが!どうでしょう?
でも仕方がない、社会はそう呼んで分類していると言う現実があります。
少し話は変わるが先日ネツトで有効なアルツハイマーに効く薬が発見されたと言うニュースが載っていた。
(他の病気に使用する認可薬で有効成分が確認され2〜3年で臨床試験を経て発売アルツハイマーもいよいよ克服か?)
もう老人が老人でない時代が来るのに!(もっと良い呼び名を考えてほしいと思います)
呼び名だけなら、そうか!今日から老人か、と!あんに認めてしまえばよい。
誰にでも65のその時が来れば、いまの時代はそう呼ばれる!
人が年老いていくことを成長とは呼ばないし 後退という物でもない ただの人の変化に過ぎない事なのに。
これからは、若い時と違う変化を楽しむことにしよう!
どう変化してやろうかと考えるのも楽しみの一つにしたらよい。
ただ、これから10〜16年頑張ることが出来たとしても、80の声を聞いた時!
病気をわずらい床に伏せっている事も考えられる。
現状では病院で亡くなる人が80%だと言うが、多くの死にゆく人が病院を占領しているのだなー!なんて考えてしまう。
冷たいようだが 死に行く人に 病院はいらないと思う、私などは、延命治療などは一切いらないし 痛み止めさえあれば、私は家で死にたいし、女房に看取られたい。
病院が必要な人は若くて治療が必要な人だけで良い、早く社会に復帰し頑張る事の出来る人に 病院は使ってもらわなければならないと思う。
ただそう思ってもこれだけは、いつ死ぬかわからぬ以上難しいかもしれないが?
誰しも、現状は思い道理に死を迎えられるわけではないのだから。
多分誰でも死にそうになったら、家族が救急車を呼び病院に連れていかれてしまいます。
やはり誰かが 以前死んだ 同じベツトで死を迎える・・アー 嫌だ イヤだ!
それなら、あらかじめ体のどこかに病気の問題を抱へながら段々衰弱し死を迎えるはずだから、そのプロセスを家で迎えられるようにあらかじめ段取りをつけておく方が良い。
何故なら、僕は自分の 死ぬ様を 家族に見せて死にたいと想っている。
眠るようにしずかに行くなんて嘘に等しい、死ぬことは眠るように安らかな事ではない!
もがき苦しみ、死にたくないよーとか 痛いよーとか 苦しいよーとか なんで俺が死ななきゃならない!何とかしてくれー!と
生へのあくなき執着を見せる事により、これが私の死にざまです、と!みている者に見せてやりたい。(あくまで希望です)
案外痛み止めとかで苦痛や死の凄まじさは、ないのかもしれないが?
死の瞬間の現実を見せる!しっかりと息子や娘に見せる!それも次の世代にバトンを渡すと言うことなのです。(それも我々の世代が背負った役目なのです)
死が わかって 初めて本当の生がわかるからです。
昔の人は言いました、人の一生で臨終ほど荘厳なものはないと!
人の生きたいと言う執念がきっとその時あらわれるからなのでしょう。


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posted by マスター at 19:00 | 日記