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2014年06月06日

フィリピンと日本の残念な出会い

此処からフィリピンと日本の本当の出会いが始まった。

それは、太平洋戦争が始まってすぐに 日本軍がフィリピンのアメリカ軍を攻め フィリピン国を占領してした時から日本とフィリピンの新たな出会いが始まった。

韓国、台湾の様な 統治の仕方が出来なかった事による、政策面の失敗もあり 致し方ない面もあるが!

何より物資の乏しい日本軍による接収が、大量の資源の略奪に見えてしまったのでしょう?

開戦当初は、フィリピン人も 日本のいや アジア人の解放を謳う 日本人による 白人支配に対する抵抗を もろ手を挙げて受け入れたのです。

それまで背が高く大きく屈強な 白人には、手出しも出来ずにすくんでいたフィリピン人達だったが、同じアジア人の背の小さい日本兵に銃剣を突きつけられ 引率され引かれていく白人を見て、強いアジア人(日本の兵隊に)胸躍る人々や少年がいた。(フィリピン少年が見たカミカゼ、ダニエルHディソン)でも戦争末期、不幸な出来事もあり日本軍の残虐さが今でも語り継がれています。

しかし 長い歴史の中で戦争中に 戦死者を出さなかった戦いが有ったでしょうか?

一例として、当時マニラの50万人と言われた人口の内10万人を(日本兵 民間人も加えた2万3千の守備隊が)巻き添えにして 死なせてしまった事実、責任は大きく、東洋の真珠とまで謳われたマニラを廃墟と化してしてしまった。

マニラの荒廃も今では アメリカ軍の艦砲砲撃によるものであり、死者多数の原因とされているが、日本は責任を免れる事は出来ないし 戦争と言う不幸な出来事に言い訳は出来ない。

ダニエルHディソンさんの言葉を借りれば『平和な時代に日本がいたらフィリピンはもっと発展できた』と言う一節に私は深い感銘を受けました。

つまり戦前は 白人支配の植民地でありながらも フィリピンには 安定した生活と繁栄が有りました。

アメリカの統治は寛容で法廷はフィリピン人に対しても公平であったと記されています。

当時フィリピンは白人文化の中に有りました、終戦後 無知で素朴なフィリピン人はそんな時代に戻りたかったのでしょう?

アメリカは 表面的にはフィリピンを対等に扱い アメリカの生産製品の消費国に仕立て上げ 素朴な農民たちの国として支配し、道路も工業化も無しに、国が発展する事のない生産基盤の無い国家にしておいて、それから長い間 鉛筆一つも作れない国にして 支配する事 それがアメリカの植民地政策でした。

日本は、戦争によりフィリピン人に民族の覚せいを促したのです 負ける事など無いと信じていたアメリカが、極東の小国に負け、捕虜となった事です、フィリピン人は初めて、自分たちと同じアジア人が白人を打ち負かす事が出来るのだという事にきずきました。

特に当時の指導者的立場の クラロ・レクト、ホ セ・ラウレル、ラファエル・アルナン等はすぐに日本を称賛しました。

白人しか持っていないと思っていた戦闘機や戦艦を日本は持っていたのです、フィリピン人にとって強い日本軍と言うのは特別な意味を持っていました。

日本軍の戦いはフィリピン人に愛国運動を形成する機会を与え、そして戦後アメリカが戻って来た時は、戦前の植民地では無くなっていました、民族としての独立と言う方向に国民は目覚めていたのです。

日本の統治4年間と言うものは、どういったものだったのでしょう?

明日に続く。


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posted by マスター at 23:09 | 日記