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2014年06月07日

日本軍の統治とやり方

アメリカ人は無差別に何の理由も無く気に入らないだけで人を殺しました、日本人は理由を言って思いっきりビンタを食らわせました!

こんな記述に現れています、統治の仕方と言ってもそれぞれの国のやり方が有ります、当時アメリカ人は 罪を犯しても責任を問われないと言う特権があり、言うなれば不平等条約の典型でした。(ゆえにフィリピンには、ゆるい統治と自由を与えたのです)

日本は、規律を大切にする民族です、まず規律違反をする者には鉄拳制裁が加えられます。(殴ったりけったりの軍隊方式です)

それがある意味では野蛮ととらえられた理由でもありました。

多くのフィリピン人は第2時世界大戦中に 日本人はフィリピン人を殺しに来たのだと誤解をしています。(特に教育の無い素朴な農民層がそう思っています)

日本はいろいろ努力した形跡が見られます、学校を開き教育をすべての子供に広げ、隣組を作り治安にも生産にも携わらせたようです。

しかしフィリピン人の心は なかな か掴めません『アメリカが敵でフィリピン人は敵ではありません フィリピン人は友達です』フィリピン人と親しくなろうと色々な事をやりましたが フィリピン人は、その言葉を受け入れようとは しませんでした。

日本人の言葉を信じられず、アメリカだけが自分たちの友人だとかんがえていました、そんな人達の考えとは、日本軍とは侵略者でありフィリピンを支配し、自分たちの欲しい物を持って行くだけの国と考えていました。

戦争後の記述で 日本軍は開戦当時60万人もの兵隊をフィリピンに上陸させています、食糧の現地調達を基本とする日本軍が一時的にせよ六十万人もやって来たのですから、フィリピンの食糧事情は一辺に悪くなったのに違いありません。

戦時中には日 本に占領された事がとても良い事だとは思えなかったでしょう!

アメリカの統治はある意味で白人支配の中では有ったが自由、公平、寛容が保たれていましたから。

それに比べ日本の統治は厳しく、あらゆることを徹底 強制していました、軍による統制は もっと厳しく、すぐ殴るという様な日本式で強制しました。

日本方式がフィリピンで受け入れられなかった理由は、日本軍占領以前は 白人文化を甘受していたので フィリピン人には自由が無い強制的なやり方は逆効果だったのではないでしょうか?

しかしこれらは戦争中と言う異常な事態の中で起こった事なのです。

アメリカも1899〜1901の3年間フィリピンンと戦争状態の中で独裁的にフィリピン人を殺し虐待しています。

当時のフィリピンと日本の関係は不幸な状況下の基に有りました、日本が占領していた期間内には平和で安定した期間が一時も有りませんでした。

いまさらですが もし日本が平和な時期のフィリピンを4〜5年でも総括 統治する事が 出来ていたなら、台湾や韓国がそうだった様に発展に拍車がかかっていたかもしれません?

フィリピン人に規律の概念を教え、国に対する忠誠心や 仕事に対する倫理観など、強制の向こう側には、きっとそんな事が見えていたに違いありません。

それなりの発展と発達がきっと有った事でしょう?(あくまで私の私感ですが今日の様なフィリピンでは無かったように想います?)

長い間フィリピンは スペインとアメリカ(白人)に支配され、常に抑圧状態にあり、自分達の独自の文化を発展させられないままに今日に至っています。

今もフィリピン人達は、自信と自分を見失ったままです これがフィリピン人だと言える明確なアイデンティティを持っていません。

私も、 日本同様に フィリピンの人達が 受難を乗り越えスペイン、アメリカ、日本と、一度は、支配と言う影響を受けた それらの国の 良い所を見習い 日本と同じ様に 江戸末期アメリカから無理矢理開国させられ 弱小国から富国強兵をスローガンに世界の強国の仲間入りをした様に。

他国から馬鹿にされないフィリピンの真の文化を取り戻して ほしいと願わずにはいられません。





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posted by マスター at 19:00 | 日記